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1-2 移動中のおさらい


 セレスティスの進む方向には、二〇十二年の関東大震災から立ち直った
都心の力強い姿が広がっていた。当時数百万の被災者と数十兆とも数百兆
とも言われる被害を出した形跡は、今ではもうほとんど残っていない。

 セレスティスの車内はリビングルームのように広かった。ふかふかのソ
ファに腰かけたおれの左手にはなぜかカルピスが注がれたグラス。飲み物
は?、とAIに聞かれて、家族で好んで飲んでいたんだが、まさか本当に出
てくるとは思わなかった。

 聞きたいことは山ほどあった。ありすぎて何から聞いていいかわからな
かった。だから、車が都心へと入りつつある時、口をついて出たのは、
やっぱり一番気になっていたことだったんだと思う。

「どうして、あんたはおれの母さんに似せて作られてるんだ?」
 傍らに控えていたAIは、やはり事務的に答えた。
「抽選議院議員資格試験の際の、アンケートや心理検査の結果から、お付
のAIの容姿は決定されます。もし、お気に召さなければ変更も可能です」
「のっぺらぼうにして欲しいって言えば、それも可能なのか?」
「可能です」
「・・・冗談だよ」
 しかしAIはその言葉には反応しなかったので、おれは次の質問をさがした。
「で、あんたの名前は?」
「現在は、ありません。ご主人様に付けていただくことになっています」
「ご主人様?」
「そうお呼びすることになっています」

 いったいいつの時代の流行なんだか・・・。苦笑いした時に一つの考え
が閃いた。
 おれの傍らにいるレイナの存在が気恥ずかしかったが、さっきからなぜ
かこいつは茶々をはさもうとしなかったので、気にしないことにした。

「あんたの名前だけじゃなくて、呼び方も自由にしていいのか?」
「はい。公の場では犯罪や一般良識に抵触するような呼び名は禁じられて
いますが、プライベートな場であれば、特に制限はございません」
「じゃあ、例えばだけどさ・・・、か、かあさん、て呼んでもいいのか?」
「問題ありません」
「かあさん・・・」
「なんでしょう、ご主人様」
 不思議な感動と、ぬぐえない違和感が同居していた。だが、ここまで来
たらもう止められなかった。
「おれのことは、タカシと呼ぶんだ」
「タカシ様でよろしいですか?」
「タカシ。様は付けるな」
「公の場では付ける必要があります。プライベートな場ではご命令に従い
ます」
「わかった、それでいい」
「わかりました、タカシ様」
「おい、なんで・・・」
「ここには第三者の方がいらっしゃいます。従ってプライベートな場では
ありません」
 きっ、とにらみつけてしまったのだろう。けれどレイナは気にする風も
なく言った。
「あたしとタカシ君が二人だけの場合、それが議事堂内などの公共の場で
ない限り、プライベートな状態と認識しなさい。入力」
「入力されました」
「え?今のは何だ?」
「AIに条件を教えていくには、今みたいにすればいいの」
「そうなのか。・・・ってお前、AIなんて普通、縁が無い筈だろ?どうし
てそんな事知ってるんだ?」

 AIは、機能が制限されてる安いものでも自家用車の数倍はするもので、
特に子供達が命令を下せたりするものはほとんど無いと言っていい。ほん
の一握りの富豪たちと、一部の例外的な子供達を除く限り。

 レイナは一瞬ためらうように口をつぐんでから、答えた。

「あたし、パブリック・チルドレンだから」

 パブリック・チルドレン・・・。直訳で、公的な子供達。通称、Pub.C。

 経済的/精神的な理由などで両親から公的機関に養育権を譲渡された子供
達や、二度の大震災やLV被害で両親を失い国家政府に引き取られた子供達
の総称。
 彼/彼女達は幼児期にインプラントによる脳力強化を受け、八歳までに
大学教程を終えてしまう。その後、無税金政府を支える公的な仕事に仕え
る者として活動するのだが、一切の不正や誘惑から逃れる為に、エモー
ション・ロック、通称ELという感情制御まで受けている。

 AIとPub.Cの双方無くして、無税金政府は成立し得なかったと社会の時間
で習った。
 人口が激減し、公的サービスや医療/介護の担い手の大半はAIに置き換え
られていったが、AI達の統括制御は、Pub.C達の主な仕事の一つだった。

「で、このAIのこと、みんなの前でも、『お母さん』って呼ぶつもりかな?」
 顔が火照った。それは、いくら何でもまずいだろ・・・。
 悩むおれをケタケタと笑いながら、レイナは言った。
「おかあさんの名前で呼んであげればいいだけじゃないのかな?」
「あ、そっか・・・。お前、頭いいな」
「えへへ、ほめられちゃった」

 笑ってると、普通のかわいい女の子にしか見えない。照れ隠しに、頭を
くしゃくしゃと撫でてやったら、顔を赤くして黙り込んでしまった。おれ
は慌てて手を離し、次の質問をさがした。

 車は、都心中央部の、ピラミッドのようなビルが並んでいる区画に入っ
ていた。超耐震構造の横幅の広い大型テナントビルで、一昔前の細長い、
単独で建っているビルはもうほとんど残っていなかった。

「お前さ、いやおれもだけど、国会議員なんて務まるんかな?」
「ん~。務まるって、どういう意味で言ってるのかな?」
「そりゃお前、国家予算とか法案を審議したりするんだろ?日本て国の舵
取りに十代のおれ達も参加するわけだ。なんとなく、不安になったりしな
いのかよ?」
 AIが言った。
「務まるかどうかではありません。務める者が国会議員なのです、タカシ」
 ぎこちない呼び捨てが、くすぐったかった。
「でもよ、務まると務まらないの境目ってあるんじゃねぇの?」
「一昔前まで、自分の選挙区での活動を国会審議より優先する議員など珍
しくありませんでした。牛歩戦術という、集団で審議を欠席することによ
り審議日程を遅らせて与党から譲歩を引き出すという戦術もあったくらい
です」
「それにね、MR大政変ってあったでしょ?国会議員て確かに責任は重いか
もだけど、そんな大した存在でも無いと思うけどな」
「そりゃあ、不正を働いてた連中はいっぱいいたさ。だけどよ、その中に
はこの国を動かしてた連中も確かにいたんだろ?」
「それで、タカシ君はどうしたいの?」
「選ばれたからには、役割を果たしたいさ」
「タカシ君の役割って何?」
「おれは、十代男性を代表して選ばれたんだろ?なら、おれの後ろには何
十万何百万て同世代の連中がいるわけで、おれはその連中の声を代弁すべ
きじゃないのか?」
「そんなこと、できると思う?」

 レイナの目が真剣だった。

「しようとすべきじゃないのか?」
「あたし達が誰かを代表するとしたら、それはあたし達自身でしかないの」
 おれは虚を突かれて言い返せなかった。
「有名な、絵の具の例え話があります」
 AIが言った。
「違う色を混ぜれば混ぜるほど、元の色は分からなくなってしまいます」
「つまり、混ぜるなって、ことか?誰の意見も聞かず、おれ一人で決めろって?」
 レイナは首を横に振った。
「タカシ君は、これからいろんな人のいろんな意見を聞いていくの。それ
は必ず、タカシ君ていう原色に他の色を混ぜることになるの。でも、どの
色をどれだけ混ぜるかは、タカシ君が決めるの。それが、タカシ君が選ば
れた理由なんだから」
「なんだかよくわかんねぇな」
「多数意見の集約という目的の為に、選挙議員議院はあります。その選挙
議院の内訳は、直接選挙枠、道州枠、間接選挙枠に分かれています。過去
の政党の機能は、この間接投票枠で選ばれる主席・次席の各議員に継承さ
れていると言って良いでしょう」
「要は、みんなの意見を代表しようなんて思うなってことか?」
「例えばね、正反対な二人の意見を、タカシ君が平等に扱うことはできないの」
「そう、なるのか・・・?」
「抽選議院には、法案を提出する権利は与えられてないしね。選挙議院を
通過した法案に賛成するか、反対するか。YesかNoかしかないの」
 AIが付け加えた。
「企業院からの立法案は、抽選議院を経て初めて選挙議院の立法審議の対
象となります。しかしこの場合も、抽選議院が立法される法案の条文を直
接に決定するわけではありません。企業院に差し戻して修正を要請するの
が限度となっております」
「なんだってそんなけったいな仕組みにしたんだ?」

「企業献金の意味を無くす為です。最終的な立法案を作成/審議できるのは、
選挙議員しかいません。彼らは企業からの献金を受け取る事は禁じられて
いませんが、全て公開するよう義務付けられています。
 一方で、企業がよりダイレクトにその声を社会や政治に伝えられるよう
企業院は設立されました。その機能はかなり制限されているものの、企業
間取引や雇用習慣や待遇の調整など、官僚による間接支配の弊害を減らす
効果も生まれています」
「誰が、どこからいくらもらっているかを全部ガラス張りにしちゃったの。
受け取る事自体は禁止しない代わりにね。だから、社会的に有名な会社か
ら献金を受け取ってる政治家は、その証のバッジを胸に必ずつけてるし、
企業はその政治家の行動に監督責任を負うの。逆も同じ」
「でも、政治家と企業だけでは動けないようにした。それがおれたちの意
味ってわけか?」
「良くできました~☆」

 レイナはぱちぱちと拍手してくれた。

「二〇十二年の関東大震災と、その翌年に起きた中部南海大震災は、トヤ
タを始めとする超優良企業の国外脱出の連鎖を招き、極端に税収の減った
日本政府は超効率的な国家運営を余儀なくされました。
 第二次LV災害は、日本国内でも数百万人の被害者を出し、日本の人口減
少に追い討ちをかけました。
 今日、無税金政府を実現したと標榜していても、実態として経費がゼロ
になったわけではありません。必要経費の多くはNBR社などの大企業グルー
プからの出資や、税金ではなく利用料といった形での経費の徴収に姿を変
えただけのものも少なくありません」
「要はお目付け役を、各年代と性別から抽出した。そんくらいのもんだと
思っとけばいいわけ?」
「そゆこと♪」
「でもよ、そしたらすげー利権が寄って来るんじゃねぇの?おれ達抽選議
員達によ?」
「パブリック・チルドレンに賄賂を渡そうとか考えるおバカさんはいないと
思うし、MR:メモリリーダを忘れちゃ駄目だと思うな」
「抽選議員の基本的人権、特にプライバシーの保護が公的に制限される理
由の大半は、有形無形の利益供与の禁止が絡んでいます。抽選議院議員の
資産はリアルタイムで生涯に渡って公開され続けるのも、そういった誘惑
を断つ為です」
「世の中そんな甘くはないか、とほほ」

 車窓の右手には皇居のお堀が現れた。しばらくお堀沿いにぐるりと進む
と、国会議事堂が丘の上に姿を現し、すぐ背後に消えて行った。
 大名行列のようなパトカーの集団とセレスティスは、赤坂見附の抽選議
院議員宿舎前で停止した。

「まだ実感がわかないよ」
「そのうちわくよ♪」
 セレスティスの床に魔法のように現れた階段を降りて外に出ると、宿舎の
入り口とセレスティスの間に、半透明の膜の通路ができていた。
 その膜に触ろうとしたおれの手をAIはさっと抑えた。
「触れないで下さい。電磁シールドです」
「へ?」
「狙撃銃の弾丸も対戦車ミサイルも防いじゃうんだよ!すごいでしょ~?」
 レイナはおれの腕を取って、ぐいぐいと入り口へ引っ張って行った。

 そんなご大層な車を抽選議員一人ずつにつけたのか?
 その意味を考えてみて、おれはなんとなくげっそりした。


 で、部屋に通されたおれは驚いた。

「これ、おれ一人で使うのかよ?」
「はい」
「広すぎない?」
「過去の議員宿舎は数百人の為に作られていました。それが二十人以下の
為に新たに作り直されたのですから、一人当たりの間取りや面積が増えた
のでしょう」
「それにしても、なぁ・・・」

 二十畳はありそうなリビングルームのソファに腰掛けながら、首をぐる
りと回した。
 左手には三、四人が余裕で作業できそうな広々としたキッチン。右手に
は、やはり二十畳はありそうな書斎兼寝室。キングサイズのベッドは天蓋
つきで、その脇にはウォークイン・クローゼットまでついていた。普通の
独身男性の住む部屋がすっぽり入ってしまうくらいの。

「それでまだ三部屋も余らせてあるんだからな。贅沢だ」
「ご家族をお持ちの方と共通の間取りですので、無駄に部屋数を取ってい
るわけではありません」
 家族・・・。その一言で、おれは養父のおじさんの事を思い出した。
「おじさんと一緒に住んでもいいのか?」
「タカシの養父、西行徳氏の事でしょうか?」
「ああ」
 AIはわずかな間を置いて答えた。
「ご当人が了承されれば、法的には問題が無いかと思われます」

 AIの言い方に引っかかるものを感じたが、おれはとりあえず電話機を探
した。見当たらなかったので携帯を取り出したが、圏外だった。

「まじ!?ここ携帯使えないの?」
「通常の電波は全て遮断されます」
「じゃあ、どうやって連絡取るんだよ?」

 AIはリビングの壁際のサイドボードに飾られていた背丈30センチくらい
のマネキン人形を、ソファの前の背の低いテーブルに置いた。

「西氏と通信がつながりました。おつなぎします」

 するとマネキンは一人でに立ち上がり、その姿を見覚えのある姿に変え
ていった。顔つきや体つき、電話をする時の立ち方や仕草まで、おれがよ
く覚えているものだった。しかも服装まで!

「どうやったんだ?なんだこれ?」
「西氏と通信がつながっております。まずはお話を」
 おれは仕方なくおじさんのミニチュア版に向き直った。
「おじさん?」
「おお、隆か?まさかお前が選ばれるとはな」
 声も表情も、間違いなくおじさんのものだった。
「おれだって夢にも思わなかったけどさ。今はもう宿舎に閉じ込められてるよ」
「広いじゃろ?」
「広すぎてさ、落ち着かないよ。部屋もまだいくつも余ってるからさ、
おじさんが来て一緒に住んでくれれば嬉しいんだけど?」

 コホン、と咳払いしておじさんは答えた。

「嬉しいお誘いだがな。辞退しておくよ」
「なんで?おじさん、ずっと国会議員やってたじゃないか?いろいろ教えてよ!」
「たまにこうやって連絡をくれれば、相談に乗る分にはかまわんだろう。
だが、わしは既に関わり過ぎておるんじゃ」
「どういうこと?」
「わしが、抽選議院準備委員会に名を連ねておったこと、覚えておろう?」
「まぁ、ね。だけど、おじさんは抽選基準を決めたり、実際の抽選プロセ
スが始まる前には、引退してたじゃないか」
 たしか、二、三年くらい前の話だった。
「それでもな、隆、長く政治に関わった者、しかも抽選議院策定に携わっ
た者の身内から、実際の議員が抽出されたとあっては、世間の勘繰りを受
けて当然じゃ」
「でも・・・」
「わしとお前は三親等以上離れておる。法律的に何ら問題は無い。実際の
抽選プロセスにわしは何も関わっておらんし、MRをかけられても何も出て
来んよ。それでも、わしとお前が同居したらどうなる?考えてみい」
「時々、会うのも駄目なのかな?」
「できれば連絡も控えた方がいいだろうの」
「どうして?」
「世間が抽んだのは、わしではない。お前さんだ。抽選議院の場に席を得
たのは、わしではなくお前さんだ。どの法案に賛成するか反対するか、判
断を下すのは、わしではなくお前さん自身でなくてはならん」
「厳しいんだね・・・」
「なに、お前の事が可愛くて仕方ないんじゃよ。だからこそ、今は距離を
置いた方がええ。勤めを終えて帰って来たら、積もった話を聞かせておくれ」
「いいけどさ。おれの部屋はそのままにしておいてよ」
「ほっほ、もうお役人連中が来て、お前の身の回りのものは全部運んでいったよ」
「ちょっ!もしかして、おれのコレクションも?」
「恥ずかしがる事は無い。お前は年相応の健全な男子なのだからな」

 おじさんのミニチュアは無邪気に笑っていたが、おれはそう気楽になれ
なかった。何せ、母親の姿をしたAIが同居しているのだから。

「どうしてもわしに知らせたい事があれば、手紙で書いて送っておくれ。
メールではないぞ」
「なんでそんな手間を?」
「その内分かるさ。きちんと封をするんじゃぞ?」
「気が向いたらね。返事は書いてくれるの?」
「気が向いたらの。じゃあな、隆。元気でな」
「うん、おじさんもね」

 プツン、という音がして通話は切れた。その途端に、目の前のおじさん
のミニチュアは、元のマネキンに戻っていった。

「これは一体どんな仕掛けなんだ?」

 マネキンを持ち上げたり、ひっくり返してみたが、どこにもコードはつ
ながっていなかった。それどころか、中に精密機械がつまっているような
重みすらなかった。

「セレスティスの内部にも使われている物質変換技術と、最先端の機密保
持通信技術が使われています」
「最先端って、どんな技術なの?」
「国家機密です。お話しできません」
「国家機密?」
「はい」
「でも、おれって国会議員の一人で、お前のご主人様なんだろ?だったら」
「それでもお話しできません。申し訳ございません」
「ちぇ。そんな秘密にしたいのなら、普通の電話機置いとけばいいのに」
「この通信機は、確実に、話している当人の現在を映し取る事ができるのです」
「なんでそこまで気をつけなくちゃいけないの?普通の国会議員達だって、
携帯くらい使ってるじゃん?」
「選挙議院議員や企業院議員の事を指しておっしゃられているのであれば、
そうです。しかし、彼らと抽選議院議員の重みは、比べ物になりません」
「でもさ、法案を提出できるのって、連中だけだとか言ってなかったっけ?」
「その法案も、抽選院で2/3票を得なければ成立できません。詳しいこと
は、翌日以降に行われる研修の中で説明されますが、ほんの一部の抽選院
議員が、非常に大きな違いを生み出せるのです。だからこそ私達は、こん
なにも通信の傍受に対して最大の努力を払わなければならないのです」
「その違いって何?」

 AIは一瞬、他の誰かに答えを、いや既に知っている答えを自分から伝え
て良いかどうかを尋ねるように押し黙り、そして言った。

「抽選議院の審議は、三時間を一単位とします。その審議中に採決が取ら
れ、可決か否決のどちらに決するにせよ、2/3の票が必要になります」
「十代から八十代までの男性と女性だから、16人?16人の2/3だから・・・」
「抽選院議長も投票権を持ちますので、17票です。17票の2/3は11票となります」
「ん~、それで、2/3の票がどちらにも入らなかったらどうなるの?」
「休憩時間を挟んで、次の三時間の審議に入ります」
「それが延々と繰り返されるの?」
「審議日程延長要請が抽選議員から要請されて過半の賛成を得るか、可決
か否決のどちらかに決着が着くまで」
「うへぇ。決まる時はすぐ決まるかも知れないけど、決まらない時は長く
かかりそうだね」
「その時の為に、議長票の重みが審議を重なる度に加算されていくのです。
最初の審議では1票ですが、次の単位からは、1回につき2票ずつ足され
ていきます」
「最初は1票で、3、5、7って感じに増えていくの?」
「はい。ただし2/3の票が必要という前提条件は変わりません」
「でもさ、抽選議員16人中11人と、残りの人の票と議長票を足した票数が
同じになった場合はどうするの?」
「議長の最大加算票7票と4人の抽選議員の票、抽選議員11人の票が、それ
ぞれ11で等しくなった場合、抽選議員が多数を占める判断の方が優先さ
れます。この場合、投票を棄権している議員が1人いるという前提になり
ますが」
「一応、抽選議員の優位が認められてるわけか」
「抽選議員16名の票が半々に割れている場合、2回目の審議で議長が3票を
どちらかに投じれば結審してしまうというケースもありますが、先ほどの
様に、議長票が加算されていく前に抽選議員の間で合意を形成するチャン
スは何度も提供されています」
「合意の形成ねぇ・・・。談合ってやつ?」
「議会とは、合意を形成する場所です。その練習は明日行われます。さて、
そろそろお腹がすいたのではないですか、タカシ?」

 そういえば、ここに連れて来られてからまだ何も食べて無かった。

「何が作れるの?」
「おっしゃってみて下さい。ここに材料がある物なら大抵の料理はできますが」
「ハンバーグとスパゲティ。トマトソースで、麺がオレンジ色っぽいのに
なるやつね」
「麺?パスタのことですね?」
「ん、ああ、そうだよ」
「かしこまりました。二十分ほどお待ち下さい」

 AIは冷蔵庫の中身を確かめてから、食材を次々に台所の調理台に並べて
いった。棚の中から鍋を取り出して水を満たして電熱プレートにかけ、つ
けあわせのサラダにでも使うのだろう野菜を切り、ボウルの中でひき肉を
こね始めた。
 その後姿にエプロンこそかかっていなかったが、目の端がじわっと来た。
 AIの手さばきには無駄がなく、見とれているうちに予告された時間は過ぎ
去り、ハンバーグとスパゲティ、サラダとスープが食卓を飾っていた。
 おれは整然と並べられた夕食の前の椅子に座ったが、広すぎるテーブル
に一人で座るのは落ち着かなかった。

「そこに座っててよ、・・・かあさん」
「かしこまりました。タカシ」
 AIはおれの前の席に座り、おれが食べる様をじっと見つめて言った。
「味付けなどお気に召さない事がありましたら、お申し付け下さい、タカシ」
「いや、うまいよ、充分。うん・・・、本当のかあさんよりも、たぶん。
食事なんて、めったに作ってくれることなかったし」
 仕事でいつもいなかった母親の味なんて舌に残っているわけも無いのに、
いつの間にか、ハンバーグの上に水滴が垂れていた。おれは慌てて目をこ
すったけど、AIは何も取り乱していなかった。
 何やってるんだろうね、おれ・・・。

「お前の名前、光子。ミツコね。外では、光子さんて呼ぶから」
「かしこまりました、タカシ」
「その、『かしこまりました』、っての何とかならないかな?」
「例えば、どのように言えばよろしいでしょうか?」
「えぇと・・・、とりあえず『わかりました』にしておいて。今のところ」
「わかりました、タカシ。」
 お手伝いさんにでも話しかけられているような不自然さはぬぐえなかっ
たけど、かしこまりました、よりはマシだった。

 食べ終わった食器を片付けたAIが戻ってきて言った。
「コーヒーなど、何かお飲み物を召し上がりますか、タカシ?」
「ココアで。それと、次からは、『コーヒー飲む、タカシ?』と言うんだ」
「わかりました」
 AIはキッチンへ戻ると、二分もせずにココアを入れたカップを手に戻っ
て来た。
 ココアの味に、何か足りないと思った瞬間だった。おれの顔色を伺って
いたAIはキッチンにさっと戻り、角砂糖入れとスプーンを持ってきて、お
れの前に置いた。
 2個の角砂糖をカップに入れてかき混ぜながら、おれは尋ねた。
「AIは、人の心も読めるのか?」
「いいえ。ただし、ご主人様の表情や声から、ある程度の情報を読み取っ
て行動を起こすことはあります」
「今みたいに?」
「はい」
 AIの入れてくれたココアは、やっぱりおいしかった。
 食卓からソファに戻り、東京の夜景を見下ろしながら、おれは尋ねた。
「でさ。これからおれ、どうすんの?明日から、どんなことするわけ?」
「明日は、午前中は執務室の下見。12時からは昼食会で、他の抽選議員の
方々との顔合わせ。午後からは抽選議員を対象としたバーゲニング演習が
あります」
「ふぅん。本番はいつから?」
「本番は来週月曜からです。その前に、翌々日に国営テレビによるインタ
ビュー、三日後には選挙院、四日後には企業院からの講習。翌週月曜に初
回の予備審議、水曜に第一回本審議が行われる予定です」
「一週間の猶予か。長いんだか、短いんだか・・・」
「今日はお疲れでしょうから、お早めにお休み下さい。お風呂も沸かして
あります」
「手回しいいね」

 まぁ、浴室の様子は、他の部屋に決して見劣りするグレードじゃないっ
て説明だけで、たぶん想像してもらえる。175cmのおれが背伸びできる大理
石の浴槽とかね。
 お湯はさらさらで気持ち良かった。誰もまだ使ったことの無い豪華な湯船
に浸かっているというのも含めて。
 おれは適当に体と髪を洗い、風呂を上がった。いろいろ考え過ぎそうだっ
たから。
 寝室に用意されていたパジャマに着替えて、両手を伸ばしても端に手が
届かないベッドに潜り込んだ。

 やっぱり、落ち着かなかった。

 おじさんに側にいて欲しいという気持ちがまた湧いてきたけど、抑え付
けた。
 そういえば、おじさんにあの女の子と再会したこと、その女の子も抽選
議員だったなんて偶然、なんで話さなかったんだろ?

 どうでも良かったから?いや、そんなはず無い!

 じゃあなんでだ?

 そんな考えがぐるぐると回っているうちに、眠りに落ちた。


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